著名人の介護物語

ニュース 2016/08/01
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家族や周囲に支えられ、女優業から介護生活へ


映画監督の大島渚氏(以下、大島氏)の妻で女優の小山明子(以下、小山さん)さんは、1996年訪英中の大島氏が脳梗塞により右半身麻痺の状態になってしまったことで突然夫を介護する生活に一変しました。カロリーを抑えた食事を食べさせなければならないのに、女優一筋だった小山さんはその献立を考えることすらできず…。頑張ろうと思うほどに追いつめられ、自身も介護うつになってしまいました。その様子を心配し、支えてくれたのが2人の息子さんと闘病中の大島氏でした。息子さんたちは母の代わりに毎日面会へ出かけ、大島氏は自分のことよりも妻の小山さんの心配をしていたそうです。そのように家族一人ひとりがそれぞれを思いやり献身的に支えた結果、大島氏は奇跡的に監督業に復帰し、小山さんも介護うつを克服することができました。

しかし、2001年に再び大島氏が病に伏すと、長期の入院生活から歩行が困難になりました。自宅療養に切り替えてからは、小山さんが24時間付き添う生活となりました。要介護5の認定を受け排泄の世話も必要になったため、大島氏自身も『もう死にたい』と漏らすことも…。しかし、初めて介護に直面した際に介護うつになってしまった小山さんですが、この時には心にゆとりを持てるまでになっていました。大島氏の願いを叶えたいと、車いすの夫を連れて映画や旅行へ積極的に出かけました。また、息抜きをするために週1回デイサービスを利用したり、自身の体力作りに水泳に通ったりと、介護をしながらもゆとりを保ち続けるためのコツも見いだしました。

そして、何よりも大切だと気づかされたのが、ご近所付き合いだったそうです。今までは希薄だったご近所さんとの関係も、介護をしていると周知されたことで、買い物を手伝ってくれるなど交流が深まりました。さらには、一緒に食事をしたり近所の行事に参加したりするまでになり、ご近所さんと過ごす時間が介護生活の良い気分転換になったと言います。

介護うつの予防法は、一人で抱え込まず、介護者である自分自身の人生を楽しむことが大切なのですね。

認知症の母と向き合い、得られたこと


歌手の橋幸夫氏(以下、橋氏)の母・サクさんに認知症の症状が現れたのは今から30年以上前のことで、まだ認知症という言葉があまり知られていない時代でした。20年来のお手伝いさんのことを、泥棒呼ばわりしたのが異変の始まりです。しかし、その時は橋氏もこれが病気の症状だとは思わなかったそうです。橋氏がただ事ではないと感じ始めたのは、サクさんと同居を始めてからです。サクさんが幻覚を見るようになり、『息子が不倫をしている』『息子に襲われた』などと吹聴するようになったため、次第に病気を疑うようになりました。妻と一緒に認知症関連の書籍を読み漁り、ようやく一連の言動が病気によるものだと理解できたと言います。その後も徘徊や、家中ところかまわずされる排泄など、認知症介護に悩まされる日々。次第に妻も介護疲れで痩せ始め、4年間自宅で介護した後に施設を頼ることにしました。

橋氏が認知症介護を通して学んだことは、『同調』が大切だということ。例えば、『財布を盗まれた』と言い出したら頭ごなしに否定するのではなく『じゃあ、一緒に探そう』と同調することで本人も落ち着き、探しているうちに探していたことを忘れてしまう。そうすると騒ぎ立てずに済みます。このような介護の体験から自身も子どもたちに迷惑をかけたくないと、財産や入所したい施設について覚え書きを残しているという橋氏。認知症の母の介護経験から、さまざまなことを教えてもらったと話します。



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引用元
エコール協議会、-http://www.ecol-homecare.gr.jp/story/

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